ちょっといい話

  1. --/--/-- スポンサーサイト
  2. 2009/06/30 介護施設で働いてるんだけど、 あるお婆ちゃんにドイツ人男性が時々面会に来る。
  3. 2009/06/29 じいちゃんの腕時計
  4. 2009/06/28 就職活動で気分が落ち込み鬱状態になった。
  5. 2009/06/21 なあ、お前らさ。 死にたくなることってあるじゃんか。
  6. 2009/06/20 通勤時、いつも渡る横断歩道には警備員さんがいて交通整理をしている。
  7. 2009/06/17  自衛隊に関しては色々な意見があるようですが、 少なくとも私たち親子にとって自衛隊の皆さんはヒーローです。
  8. 2009/06/14 ウチの近所の公園に駅へ急ぐ人々を眺めるのが趣味の野良猫がいた
  9. 2009/06/12 きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。それで・・・
  10. 2009/06/09 僕は子供時代、童謡の「あめふり」が嫌いでたまらなかった。
  11. 2009/06/05 新人だった俺がちょっとした失敗をして凹んでいたら 先輩が飲みに連れて行ってくれた
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介護施設で働いてるんだけど、 あるお婆ちゃんにドイツ人男性が時々面会に来る。

688 おさかなくわえた名無しさん sage 2009/04/27(月) 20:46:54 ID:M6pok+zR

介護施設で働いてるんだけど、
あるお婆ちゃんにドイツ人男性が時々面会に来る。

どういう関係?と尋ねてみたら、
昔、彼女の所へ家を売って欲しいとやってきたそうだ。

彼いわく「故郷に周りの景色が似ているし、
日本家屋はすばらしい。大切に住むから!」

それから数十年、彼はその家を手入れしながら住んでいるんだと言っていた。
耳も遠くて認知症も進んでるお婆ちゃんだけど、彼の名前は忘れない。

そして別れ際「マタネ」と手を振るドイツさんを見ると、
和みながらも切なくなる。
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じいちゃんの腕時計


254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 09:39:16

俺さ小さい頃、一人っ子で両親共働きだったから、鍵っ子って奴だった。
だからさちょっと内気で友達もできなくてさ、
よく、じいちゃんの家に行ってた。
じいちゃんはさ、会社の社長でさ忙しかったけど
俺が行くと絶対遊んでくれたよ。
しかも小遣いまでくれるもんだからさ調子乗って毎日行ってた。

俺さ中学に上がって段々グレてってから、
じいちゃんの家にあんま行かないようになってた。
でも、小遣い欲しいときだけは行ってた。
じいちゃんはマックのポテトが好きだったから
ポテト買って行けば嬉しがって、
小遣い多めにくれたりてたから、またまた俺調子乗ったよ。

そんなんが続いててさ、俺が中3の10月くらいだったかな、
じいちゃんが突然倒れたって聞かされた。
俺ソッコーで病院行ったよ。
そしたら、じいちゃんケロってしてたな。
なんだよ心配して損したってな感じだった。
でも俺、毎日病院行ってた・・・。
じいちゃん小遣いはかかさずくれるもんだから。

ある時さ、じいちゃんが俺に高校の話してきた。
丁度受験だったからさ。
俺めんどいから高校行かねえって言ったらさ初めてキレられたよ。
いつも温厚なじいちゃんが初めてな。
めんどいってなんじゃ・・・逃げとるだけやろうが?
男なら逃げんな・・・とか言ってた。

んでさ、いきなり戦中の話されたわけ。
じいちゃんはさシベリアで捕虜になってたんだって。
そりゃもう悲惨だったと・・・。

その中にはさ家族を持ってた人、
もうすぐ生まれてくる子供がいた人、そんな戦友も皆死んだらしい。
もう、涙も出ないくらい悲惨でさ、何度も死のうと思ったらしい。

けど、そんな時、いつもお守りとして持ってた腕時計を見てさ、
唇をかみ締めて生きるぞ!って決意してたんだって。
その時計はさ、じいちゃんの親友の形見だって。
じいちゃんと親友はさ、幼い頃から一緒に悪さしたりして
近所でも有名な悪ガキ2人組みだったんだって。

戦争が悪化してきてさ、じいちゃんも友人も戦争に行くことになったんだけど、
じいちゃんの親友は海軍に志願して特攻になったらしい。

最後の別れ際、
「俺は空からお前は陸から・・・心配すんな、俺がぶっ壊してやる。
靖国で待ってるなんて言わない。
お前は不死身だからな」って笑いながら腕時計を渡したんだって。

それからシベリアに抑留されても、
じいちゃんは腕時計だけは取られないように隠し持って、
捕虜になるなら切腹しろって言われてたけど、
こんな所で日本男児がくたばるかって思いながら生きたらしい。

俺さバカだからよく分かんなかったけど、軽く泣いたね。
じいちゃんも泣いてた。
それ聞いて、毎日勉強したわ。
毎日じいちゃんの病室のベッドの横で毎日勉強した。

んでさ、じいちゃん日に日に体が弱くなってさ、
喋ることもままならなくなっていったよ。
受験前日かな、じいちゃんさ、体震わせながら、声もかすれながらさ、
手を上にあげて、名前呼んだから
何?って言ったらさ、腕時計だしてきて「ありがとう」って・・・。
「ようやくお前に顔向けできるな」って言ってた。
多分俺と友人間違えてたんやろうな。

その夜じいちゃん死んだよ91歳やった。

思い返せばスッゲー男やったな。
シベリアから帰ってきて、
何も無い所から始めて、会社起こして、
俺のおかんやらを育ててきたんやもんな。
強いよな・・・
じいちゃん死んだ時、俺はじめて「闘う」って意味分かった気がしたもんな。

腕時計は俺が引き継いだ。
俺にとっちゃかなり重い腕時計だけど、
じいちゃん、じいちゃんの親友に顔向けできる男になれるように闘ってみる。

就職活動で気分が落ち込み鬱状態になった。

40 :癒されたい名無しさん:2008/04/29(火) 11:17:24 ID:w9MlFAH5
就職活動で気分が落ち込み鬱(正確な鬱の定義はわからないけど)状態になった。

一人で電車乗ったり説明会行ったり、
面接受けたりしている間はまだ気が紛れてよかった。
でも一人になると変なことばっかり考えて夜眠るのが怖く、
一人で長時間お風呂に入れなくなった。

家に閉じこもり気味になりお風呂にも入れない。
一人でじっとできない。シャワーでさっさとすます。
満足に洗えない。カラスの行水状態。

何度もお風呂に出たり入ったりしてやっと体洗う。
シャンプーする。リンスする。義務感だけ。
本当お風呂なんて入りたくなかった。
就職活動もやめたかった。

さすがに家族が私がおかしいことに気付いた。
妹がじゃあ一緒にお風呂に入ろうって言ってくれた。
お風呂がすごく楽しい時間になった。
もう何年も一緒になんか入ってなかったのにさ。
私のことあんま好きじゃないはずなのに。

なんもしてないお姉ちゃんだしさ。だめだしさ。
いっつも文句ばっかり口ばっかりだし。
就職一つまともに決められないし。

お姉ちゃんまだ決まらないけど就職、
決まったら何でも好きなもん買ってあげるし。

だからもうちょっと甘えさせてください。
あんたがいるから頑張れる。本当にありがとう。

なあ、お前らさ。 死にたくなることってあるじゃんか。

993 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。 :04/08/24 22:26 ID:DnJEwguz
なあ、お前らさ。

死にたくなることってあるじゃんか。
でも俺、死んだことないよ。

まだゲームの続編は出続けるし 好きな漫画は続いてる。
死にたくなるのに 娯楽のことだけ考えたら しねない。

そんぐらい軽い悩みなんだよな。

「あ、死ねないや」って思えるもの思い出せよ。

悩みや恥とか苦しみとかいっぱいあるよな。でも・・・。

「そんな娯楽(もしくは違うもの)っつー軽いもの」で死ねない自分を見つけろよ。
お前らの命はそんな「かるいもの」よりはるかに重いことを思い出せ。

「しねないりゆう」がすごく重いものの場合もあるかもしんねえ。けどな。

お前らが死んだら確実にゲームの続編は出ないし、
来月発売のコミックスは発刊されない。
どうしてだかわかるか?

お前らの世界が終わるからだ。
お前らの世界はそこで終わるから。
続編は出ないし発刊はされないし いのちより重いものも消え去る。

そんな世界に行くのか?
ただ言っておく。
俺はいやだ。


この文字の向こうにいるお前らの
世界のどれかひとつでも消えるのはすごくイヤだと俺は言っておく。



994 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。 :04/08/24 22:27 ID:DnJEwguz
ご ば く 


○| ̄|_ 向こうに乗せ直す気すらおきねぇ



995 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。 :04/08/24 22:40 ID:cCqbFXUn
>993
誤爆なのに泣けた・゚・(ノД`)・゚・

明日からまたがんばれます。

通勤時、いつも渡る横断歩道には警備員さんがいて交通整理をしている。

231 :おさかなくわえた名無しさん :2005/05/26(木) 04:41:54 ID:TNLT1Uz3

通勤時、いつも渡る横断歩道は側にスーパーの駐車場があるので、
警備員さんが赤い誘導灯を持って交通整理をしている。
毎回同じ人ではないが、一人だけ、いつも
「おかえりなさい」や「おつかれさま」
と言ってくれる人がいて、誰が通っても声を掛けてる。

無視してる人も多いし、自分も恥ずかしいからあまり大きな声は出せないけど、
一応挨拶はしていて覚えてくれたのか、
「今日は遅いですね」と言われるくらい顔馴染みになっている。

ある日、コンタクトのハードレンズをいまだに使ってる自分、埃が目に入り、
目からぼろぼろ涙が。
はずそうとしたんだけど風が強くて飛びそうだし、
涙で自然に埃が取れるのを待とうと我慢しながら横断歩道の所に来ると、
車が行き交い、おじさんが静止したので俯いたまま止まっていた。

するとそのおじさんが肩越しにちらっと振り返り、
目が合っていつものように挨拶してくれたんだけど、
自分は涙出てるし恥ずかしいので手でぬぐいながら小さな声で挨拶をして、
車が切れるのを待っていた。

するとそのおじさんが背中越しに小さな声で、
「じーんせい、ラクありゃ、苦~もあるさ~(以下略)」と誘導灯を振りながら歌いだし、
「まぁ~大丈夫ですよ。明日は良い日になりますよ」と言った。

側にいたのは俺一人。
泣いてたと思われたようだ。
何か嬉しくてね。
コンタクトで目が痛いと言えず、違う涙が出てきてね。
いつもの挨拶より大きな声で涙声で「ありがとうございます!」と言ってしまった。

車が途切れたのでおじさんの誘導に従って渡ったけど、
涙声で恥ずかしかったので小走りに渡ると後ろからおじさんの、
「お気をつけて~!!ほどほどに頑張りましょう~」の声。
コンタクトが流れそうになったくらい泣いてしまった。

自衛隊に関しては色々な意見があるようですが、 少なくとも私たち親子にとって自衛隊の皆さんはヒーローです。

587 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:34:31
一昨年の夏、私は息子(5歳)を連れて家から車で1時間のところにある、
自然博物館の昆虫展に向かっていました。
ムシキングの影響で息子はとても楽しみにしていました。

あと数キロと言う地点で渋滞の最後尾に。
止まった瞬間、ものすごい衝撃に襲われました。
後方から来た大型トラックに追突されたのです。
一瞬何が起こったのか理解できませんでしたが、
すぐに追突されたと判断できました。

即座に助手席に居た息子の安否を確認しようしたのですが、
そこには息子の姿がありませんでした。
子供の名前を叫ぶと、助手席の足元から「痛い」という声が。
息子は衝撃でシートから足元にずれ落ち、挟まれていました。
正直半狂乱になってしまいました。
あのときの私は完全に冷静さを失っていました。



589 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:44:13

半狂乱の私も足を挟まれて動けない事に気づきました。
動けない私は叫ぶしかなかったのです。

追突から時間にして1~2分でしょうか。
いきなり運転席側の変形したドアを無理やり開けてくれた人たちが居ました。
緑色のヘルメットに迷彩服の数人の自衛隊員。
私の足が挟まれているのを知った後、
何やらバールのようなもので運転席をこじって、
後ろにずらし私を出してくれました。

「息子が助手席の足元に挟まれてます!助けてください!」
お礼の前にそう叫んでいました。

すると若い隊員さんは運転席同様、助手席シートを無理やりはずし、
潜り込むように助手席に入っていきました。
他の隊員さんと大声で作業指示しながら懸命に救助されていました。
数分でしたが私にとってはとんでもなく長い時間に感じられました。

そして息子は挟まっていた車体から外に助けていただきました。



590 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:53:28

と同時に救急車と工作車が到着。
息子は救急隊の方にゆだねられました。
私も両足が痛くて立てなかったのですが、
せめてお礼だけはと思い、その隊員さんのもと這って行きました。

私「本当にありがとうございました!ありがとうございました!!」
自「いえいえ、当たり前のことをしただけです。怪我は治ります。
命が無事でよかったです」

その隊員さんをよく見てみると、右肩付近が黒く濡れている。

私「もしかして怪我されているんじゃ?」
自「え?ああ、潜ったときにチョット何かが刺さったみたいです」
 
隊員が体をひねって右肩を見せようとしたところ
背中はさらにベッチョリと濡れていました。
普通に考えたら大量出血です。

それでもその隊員さんは笑いながら「チョット痛いだけです。大丈夫です」と。
その後私は息子と共に救急車で運ばれていきました。



591 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:00:20

息子は両足の骨折、私は右足の骨折でした。
治療が終わって息子のベットに行きました。
「よく泣かなかったね、がんばったね」
と声を掛けてやると、息子は
「お兄ちゃんが笑ってたから泣かなかったよ。クワガタの話もしたよ」

冷静さを失っていた私は聞こえませんでしたが、
隊員さんと何やらムシキングの話をしていたそうです。
その為、息子は安心したらしく痛くても我慢できたそうです。
嬉しくて有難くてそこで初めて涙を流しました。


593 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:05:08
その後、救援に来ていただいた消防署に出向き、
その隊員さんの所属を教えていただきました。
駐屯地の場所をネットで探し出しました。
そのページを見ると「記念行事」なるものが2週間後にあることが判明。
怪我の治療状況と相談し、記念行事にお邪魔する事にしました。


595 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:13:21
初めて入る駐屯地。
意外と来客も多くビックリしました。
どこに行けば良いかも判らず、
車椅子に乗せた息子とウロウロしてしまいました。

そのうち式典や訓練?が始まり、大砲や戦車の音にビックリ。
なんだか息子も私も楽しんでしまっていました。
午後になっても結局ウロウロ・・・。

と、その時1人の隊員さんが声を掛けてきました。
大怪我をしてまで息子を助けてくれた隊員さんでした。
ニコニコした笑顔に私は男ながら涙がこぼれてしまいました。
「あの時は本当にありがとうございました!」
この一言がどれだけ言いたかったか、息子の回復振りを見てもらいたかったか。

色々とお話を聞かせていただきました。
背中の怪我は何かが刺さったのではなく、車体の金属部分で切った事。
17針縫った事。
助けられて自分の子供のように嬉しかった事。
私にとっても息子にとってもそこに居たのは正にヒーローでした。


597 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:20:28
その後その隊員さんは普段訓練で乗られている緑色のバイクを見せてくれました。
足が完治していない息子を抱き上げ、
一緒にバイクに跨ってくれました。
そのときの息子の顔はとても嬉しそうで、
一緒にバイクに乗っている隊員さんは
まさにテレビに出てくる戦隊物のヒーローに見えました。
その時一緒に撮らせていただいた写真は、息子の宝物になっています。
ムシキングよりも自衛隊のお兄ちゃんの方が大好きみたいです。


599 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:23:48
長々と書いてしまってスミマセン。
もちろん実話です。

自衛隊に関しては色々な意見があるようですが、
少なくとも私たち親子にとって自衛隊の皆さんはヒーローです。
たった1家族の小さな力ですが、私たち家族は自衛隊の皆さんを応援します。

ウチの近所の公園に駅へ急ぐ人々を眺めるのが趣味の野良猫がいた

327 名前:名無しさん@七周年 投稿日:2007/04/17(火) 08:53:01 iF9QAoov0

ウチの近所の公園に住み着いているノラ、道路沿いに座って
毎朝、駅へ急ぐ人々を眺めるのが趣味っぽい。

で、冬はお尻が寒いらしく、公園の横のゴミ捨て場に捨ててあるダンボールを
自分で引きずってきて敷いて、その上にお行儀よく座っている。(目撃した。)
いちどダンボールが道路にはみ出してて危なかったので、
わたしが公園の入り口のほうに寄せたら、
ちゃんとそこまで移動して座っていた。

ある日、誰かのイタズラか、空き缶が彼女の前に置かれたら
みるみるうちに小銭がたまり、会計ノートもつくられ、
彼女は自分のえさ代を稼ぐことに。

しまいには自分の避妊手術代まで稼ぎ、
最終的に、近所のアパートの管理人さん宅の飼い猫になった。

きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。それで・・・


82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/05/10(日) 18:10:19.12 ID:f4mmHux80


ゴフッ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          ('A`)        ャン・・・・・・
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ


  !! ダレノ・・・コエ?・・・     ドクチャン・・・・
         Σ('A`)
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ


ドクチャン・・・
         ・・・・・・・ママ?・・・・パパ!!・・・
        Σ('A`)
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ



83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/05/10(日) 18:11:33.62 ID:f4mmHux80
ドクチャン ヨクガンバッタ ワネ    サァ イッショニ イコウ
      ⊂⊃      ⊂⊃
     J( 'ー`)し     ('∀`)
               
          ('A`)   パパ!!  ママ!!
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ


  イマ ワカッタ・・・ボクハ ヒトリ ジャ ナカッタンダ・・・
              ズット パパ ト ママ ガ イッショニ イテクレタンダ
          ('A`)   
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ



87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/05/10(日) 18:12:47.66 ID:f4mmHux80
数日後・・・・・

シゴ 10カ カラ 2シュウカン トノコトデス!! ケイブ
   (`A')     _⊂⊃
   (☆)      ( 'ー` ) ・・・・ソウカ・・・
    ||      <(☆ )
            <<
          (□)   
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ



ネンレイハ 38サイ ドクシン ダッタ ソウデス・・・
   (`A')     _⊂⊃
   (☆)      ( 'ー` ) ・・・・・・・
    ||      <(☆ )
            <<




イツモ ノ コドクシ・・・マッタク フコウ ナ ハナシデスネ・・・ケイブ・・・
   (`A')     _⊂⊃
   (☆)      ( 'ー` ) ・・・・ソウカ?・・・
    ||      <(☆ )
            <<



88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/05/10(日) 18:14:03.37 ID:f4mmHux80
エ??
   (`A')     _⊂⊃
   (☆)      ( 'ー` ) ダッテ ミテミロヨ コイツノ カオ・・・・・
    ||      /(☆ )
         □  <<
      パッ!!



まるで 両親と 手を つないで 歩いている 子供の様な 顔してる・・・


          ('∀`)  
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ
             ゚
             o
           ○
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   J( 'ー`)し    ('∀` )    
    ( )\('∀`)/( )       
     ||   ( )   ||         

   ズット イッショ ダネ !!



僕は子供時代、童謡の「あめふり」が嫌いでたまらなかった。


598名前:大人になった名無しさん[sage]投稿日:2006/11/20(月)17:42:23

誰もが一度は耳にしたことがあるだろう童謡の1つに、「あめふり」ってのがある。
僕は子供時代、その歌が嫌いで嫌いでたまらなかった。

小学校にあがる少し前、
母は僕の入学式に出席することができないままこの世を去った。
車での買い物の帰り道、大型ダンプと正面衝突をして、
ダンプの運転手ともども即死だった。
覚えているのは人の大きさをした大きな布の膨らみと、
それにすがりつきながら
「痛かったろう、痛かったろう」と大声で泣き喚く父の後ろ姿だけ。

あめあめふれふれかあさんがじゃのめでおむかいうれしいな
ピッチピッチチャップチャップランランラン

ちょうど事故で母が死んだ日も、路面が滑りやすい雨の日だった。
この歌が雨の日の給食時間に放送で流れると
保育園に迎えに来てくれた優しい母の顔を思い出し、僕は耳をふさいだ。

その日もそんな雨の日で、
ごたぶんに漏れず給食時間の放送からはあの歌が流れていたと思う。
朝の天気予報では晴れマークが出ていたので、傘を持ってくるのを忘れた僕は、
下校のときのことを想像するたび憂鬱な気分になっていた。

母の件のせいにするつもりは毛頭ないけれど、
その頃の僕はおせじにも可愛い子供ではなかった。
当然友達なんかいないから傘に入れてくる人なんかいるはずないし、
父は仕事で今日も遅いから、
まさか僕の傘のために仕事を抜け出して迎えに来てくれるはずもない。


むしろ当時の僕は本当に可愛くなくって、
「もし父がそんな風に迎えに来てくれたとしたら、
一体どんな顔をしたらいいんだろう」
なんていう風に、子供らしくないネガティブな悩みかたをしていたのを覚えている。

でもそんな悩みなんかもとから不必要で、
結局父が迎えに来てくれることはなかった。
当然だ。
片親で子供一人を学校に通わせるのは今思えば楽なことではない。
大工であった父はその日も屋根の上で雨に濡れながら
家族のために必死に働いていたんだろう。

どんどん強まっていく雨足と、
ぽつりぽつりとクラスメイトが減っていった薄暗い教室は、
今思い出しても寂しい気分になる。
一度寂しいと思うと、その寂しさはどんどん膨らんでいくもので、
そんな時に母の顔を思い出してしまった僕はもうどうしようもなかった。

もしお母さんがいてくれて、傘をさして迎えにきてくれたら、
この雨もどんなに楽しいだろう。
そう考えたとたん、涙がぽろぽろこぼれてきて、
僕はまだクラスメイトもちらほら残っている放課後の教室で泣き出してしまった。

それに気づいたクラスメイト達も何事だとこっちをうかがいはするが、
もちろんなぐさめてはくれない。
やりきれなさと寂しさで胸がいっぱいになっていたところへ、
担任の先生が声をかけてくれた。

当時僕の担任の先生というのは結構なお年の女性の方で、杉本先生といった。
ぽっちゃりした体型と人懐っこい笑顔に派手めな眼鏡で、
生徒からはおばあちゃん先生なんて呼ばれていたけど、
本人はむしろその呼び方に愛着を感じているらしく、
微笑みながら応対していたように思う。


どしゃ降りの雨がふる教室のなかで、
小学校2年生の子供が泣きじゃくりながら事情を説明する言葉なんて、
一体どれだけ聞き取れただろうか。
先生は膝をおって同じ高さまで顔をもってくると、
僕の背中を優しくさすりながら
「そうね、そうね」と独特の九州なまりであいづちを打ってくれていた。

僕がやっと泣き止むと、杉本先生は僕に「そんなら先生と一緒に帰ろうか」というと、
やっぱり派手めな赤いチェックのはいった小さな傘を差し出した。
途中杉本先生の家にあがらせてもらい、色んな話をした。
「今度から雨の日は先生と一緒に帰ろう」と言ってくれたのが、
僕は嬉しくてたまらなかった。
なんだかんだで恥ずかしさも伴い、一緒に下校したのはそれっきりだったけど、
僕はそれからは雨がそれほど嫌ではなくなっていた。

杉本先生、お元気にしてらっしゃいますか?
僕は今年、夢だった教師になることが出来ました。
先生のことを思い出したのも何かあるのかも知れない、なんていう言い訳を抱えて
実家に帰省した折にはご挨拶に伺わせて頂きたいと思っています。

新人だった俺がちょっとした失敗をして凹んでいたら 先輩が飲みに連れて行ってくれた


883 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 11:02:24 ID:q6BDL8F00
まだバブルの余韻が残ってた頃、
新人だった俺がちょっとした失敗をして凹んでいたら
先輩が飲みに連れて行ってくれた
新しくオープンした焼き鳥屋に入り、
先輩がガンガン勝手に頼む焼き鳥を食い、
先輩のハイテンションな馬鹿話を聞きながらしこたま飲まされた
俺のミスや仕事の話は一切しなかった

帰る時になって先輩が持ち合わせがない事に気づいた
俺が「じゃあ俺が出します」と言うと、
いつもはヘラヘラしている先輩(仕事は滅茶苦茶できる)が
急に真剣な顔で
「バカ野郎、何言ってんだ、ちょっと待ってろ」と言うと慌てて店を出て行った
20分くらいして近所の飲み屋にいた先輩の同期の人から金を借りて戻ってきて
会計を済ませた

店を出る時に先輩が何気なくポツリと言った事は今でも守っている
「お前も目下の人間にはちゃんと威張り賃を払えよ」


その先輩は今は独立して50人ほどいる会社を経営している
相変わらずヘラヘラしているが、
50を過ぎた今でも独身で相変わらず異常にモテる


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